<コラム2> 2011.3.1


坊ちゃん と 『清』

畠瀬直子

 

 「坊ちゃん」を40年ぶりに読んだ。そして何だかすごく嬉しくなった。 

 

 「そうだ。母親でなくても良い。清のように、自分のことを真剣に愛してくれる人に出会えれば、人は安心して帰る場を持てるんだ!」と気づいたのだ。 

 

 この所、虐待、老親虐待、育児放棄、青少年犯罪など、おなじ人間として自信を失いそうなできごとばかりが続いている。その度に、父親ではなく母親の子育て能力がクローズアップされている。 

 

 教育学を開いたルソーは「理想的な子育てをしようとするなら、私は、その子供が生まれる20年前、その子どもの母親となる少女の教育からスタートする」と述べている。そんなこと言われたら、私たち全員がアウトだ。どうすりゃいいのだ。次から次と、若者の自信を打ち砕く事件と論評がマスコミを賑わしていく。少子化は、自然のなりゆきである。 
  
 坊ちゃんは、母親には愛想をつかされた。父親からはお小言ばかりである。子どもがどんどん生まれていた時代は、親も気ままだったようだ。お手伝いの清は、坊ちゃんの絶対的肯定者で、何があろうとかばってくれる。可愛がってくれる。 
 東京の大学を卒業して、松山に赴任した坊ちゃんの夢にでてくるのは、清ばかりである。 
  
 母のお腹にいたときから4才まで戦争続きだった私は、理想的な母親になどなれない自分に気づいた。赤ちゃんの世話をしていて、心の底がざわめくのを感じたのである。自分の未熟さに由来すると考えたのだが、それではしっくりしない。母親としての未熟さに還元しようとしてもしっくりしない。むしろ、人格を築く時期の社会のざわめきが浮かびあがってくる。この社会が、よくぞ崩壊せずにこられたと、走馬燈のように様々な思い出が浮かびあがってくる。心のざわめを、個人の責任にしていいのだろうか。 
  
 カウンセリングの原点は、From here/ここからである。一歩一歩、歩みましょう、である。私たち女は、神さまから生命をはぐくむ宮殿を授かっているが、結婚しない人あり、子どもを授からない人あり、様々である。 

 

 でも、清にはなれる。いまからでも、『清』の会をつくって、絶対的愛を提供したいなと夢想している。いま必要なのは、清だ!

 

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