<コラム38> 2021.8

 

エンカウンター・グループと教育活動

森田 純子

 

 

 教職に就いて30年余りが過ぎた。エンカウンター・グループ(以下、EG)に初めて参加してから今年で30年になるため、EGとともに教員を続けてきたことになる。EGでは多くの学びがあり、教育活動を行う上でもEGでの学びを生かして実践を積み重ねてきた。その中で、子どもを中心とした教育の基本に気づいた初期の経験をふり返ってみる。

 教員生活8年目。教員としての考えや指導方法が確立しはじめたころに担任した学級には、落ち着きがなかったりすぐにキレたりする子どもが複数いた。6月になると、授業中、友だちとふざけたり立ち歩いたりするようになってきた。7月には、授業中に遊び始め、注意を聞こうとせず、一斉授業が成立しなくなった。学級崩壊をしてしまったのである。他の先生方に授業に入ってもらったり保護者と連携をとったりして授業が成立するよう必死で指導した。しかし、2学期になっても、状況はなかなか改善せず、わたしは、どんどん疲弊していった。ある日、保護者から「子どもが『先生は、怒りばっかりする。』と言っている。」と聞いた。わたしは、子どもは自分の悪いところを棚に上げて勝手だなと思った。

そのころのわたしは、他の人に困ったことなど相談できないでいた。そんな時、研修会でいっしょになった知り合いの先輩先生に思い切って相談してみた。「一生懸命しているのに効果がでないんです。」と言うと、先輩先生はしばらく沈黙された後、「一生懸命していて効果がでないのは、やり方が違うから。やり方を変えてみたらいいよ。」と言われた。「やり方を変える」と言われてもどうしたらいいかわからない、とよけいに困ってしまった。何か手がかりになるものはないかと考えていると、思い浮かんだのは、『先生は、怒りばっかりする。』という子どもの言葉だった。そうか、今の状況を引き起こしているのは、子どもの問題ではなく、わたしの問題なのかと思った。自分の指導をふり返ってみると、わたしは、子どもたちはこうあるべきという枠をもっていることに気づいた。席にきちんと座り、教師の指示に従い、真面目に学習に取り組む…それが当たり前と思っていた。自分の当たり前という枠に目の前の子どもたちをはめようとして「怒る」という悪循環を起こしていた。子どもの『先生は、怒りばっかりする。』という言葉の意味は、「先生は、自分たちを大切にしていない。尊重してほしい」ということだったのかと思った。子どもたちを自分の枠(理想の子ども像)にはめることはやめよう、「なぜ、できないのか」と子どもを否定することからスタートするのではなく、「子どもの現状はこうだから、今はこうしよう」と目の前の子どもを受け入れた上での指導を考えようと思った。

それから、「子どもの実態を把握し、出発点とする(受容する)」「伸びを見逃さず、すかさず認めることで、意欲づけをする(肯定的フィードバックをし、自己肯定感を高める)」「子どもの話をきいたり遊んだりする(子ども理解を深める)」「子どもの実態に合わせて自分の枠(考え)を柔軟にし、対応する(枠を壊すのではなく、範囲を広げる)」等、子どもを中心においた指導を模索していった。すると、学習参加をしていなかった子どもたちが徐々にではあるが部分的に参加するようになり、子どもたちの方から話しかけてくるようになった。そして、3学期には落ち着きを取り戻し、学年末を迎えることができた。

わたしにとって、この経験は、教師主導から子ども中心の教育へと視点を切り替えることができた大事な経験だった。その視点の切り替えには、EGに参加した際のわたし自身の経験がヒントになっていた。また、学習集団のリーダーである担任の影響は多大だと気づき、リーダーとしての力量を養っていきたいと思い、あたたかいグループへのファシリテーションやファシリテーターのあり方を学ぼうとEGにくり返し参加するきっかけになった経験でもあった。