<コラム17> 2013.4

陰と光の旅

大須賀克己

 

心は時であるとも言えます。人は過ぎ去った時に苦しみ、
そして喜び、訪れる未来に願いを託す。そして幸いなる
永い人生を求めるのですが、「生老病死」という苦の人生峠を
誰もが超えて行かなければなりません。
我々の社会が娑婆(しゃば・忍土・にんど)と呼ばれる所以なのでしょう。
未来と過去の接点に、今という現実の人生があります。
そして良くも悪くも過去のドラマの続きが未来のスクーリンに写しだされます。
現在という座席から、ある時は希望に心が踊り、またある時は不安に慄く。
このように考えると、人生とは自己の幻によって創造された
陰と光の映像であるとも言えましょう。
一昨年五月二六日午前3時30分、「陰は光に」の著書を残して、私の兄
大須賀発蔵は静かな彼岸へと旅立って行きました。
八十八年の長寿を全うしたと言っても良いでしょう。
多くの人々の暖かい心に囲まれ惜しまれながら
永い願いでもあった仏陀の世界に帰依する事になったのです。
兄の人生にも様々な苦難の時代はありました。ですが、最後まで彼を慕い、
光る涙で別れを告げて下さった限りない朋友がおられたことは、
人生としてこの上ない幸な事です。そして生前には一人の小さな力ではあっても、様々な人々の陰に光を与えることが出来たのでした。

ほぼ時を同じゅうして、大震災が発生しました。ただ一人の兄に
心が奪われていた時に、多くの方々が瞬時に命を失ったのです。
人生そのものと考えていた「生老病死」さえ存在しない突然の出来事でした。
大自然は人間だけの小さな知恵で動いている世界ではなかったのです。
小さな昆虫も、木の葉も、大木も海も空も
一体につながっている大きな命でした。そのように思う時、兄もまた、
無限の生命に包まれ、大宇宙のどこかで生きつづけ、私たちを
見守っているに違いありません。そして、エンカウンターグループのように
災害で亡くなられた方々と共に、深い出会いの中で語り合っている事でしょう。