<コラム33> 2020.3

 

「講」という「つながり」

 

橘 昌憲

 これまでにエンカウンターグループを続けて来て、「似たような体験」と感じていたグループがあります。「御講さま」と呼ばれている集まりです。その源流を辿ると、浄土真宗第8代蓮如(1415~1499)の時代からではないかと推測されます。鎌倉・室町時代から広まっていた「末法思想」という歴史観が、まさに現実味を帯びて世の中が乱れ、戦・疫病・大火・飢饉などが頻繁に起こり、人々は「生活の不安」と「人生の不安」に苦しみます。そんな中で蓮如が福井県吉崎に居を構え、北陸方面に布教していく際に、様々な形の「講」という「集い」を実践していきます。「御講」は本来、地域社会や信仰生活に根ざした村人たちの交流の場であり、地域社会の人々を結びつける大事な役割を果たしてきました。講師(布教使)の一方的なお説教ではなく、参加者が質問や疑問を出し合いながら対話を深めていく「座談」を大切にしていて、「お互いに自分の仏法についての領解(理解・解釈)を語り合い、日頃の行いを振り返り、自分を見つめ直したり、信心を確かめる」という意味もありました。

特に今、70~80代のお年寄りばかりが住んでいる地域で、月に1回開催されている御講があります。メンバーは14~15人のお婆ちゃんです。僧侶が参加しなくても、講の準備をする当番を2人決め、お茶とお菓子をセットして「お茶さま」と呼んでいる「御講」が始まります。正信偈を唱和し、日頃思っていることを出し合います。体の悩みや家庭の心配事なども、みんなが親身になって考えてくれます。「お茶さま」で出会ったメンバーが天気のいい日に5~6人集まると散歩が始まり、お互いに畑仕事を手伝うようにもなったそうです。

 私の住んでいる町にも「総佛講」「父御講(ととおこう)」「母御講(かかおこう)」「青年御講」「餅御講」「十文講」などがあり、各家庭の日用品、雑貨、衣類、食品、手作り民芸品、海や山の幸などを持ち寄り、面白おかしく競りをします。「さぁいくら!」という競り人の掛け声から「さいくら」と呼ばれる楽しみな催しです。車座に座って日頃の悩みや思っていることを出し合う場でもあります。

 そこで拝読する「御消息」の中に「家々に佛種の絶えずして村にも町にも佛心の薫化するところ争い事なかるべし」という言葉があります。人間関係の基本が家庭にあり、お爺ちゃんお婆ちゃんの「ありがとう」「お陰さま」という心を子どもや孫たちが受け継いで、

そんな人々が社会に出て行くと争い事の無い世の中になっていくでしょうということです。温かい人間関係を維持していく、地域に開かれたコミュニティの場を、次の世代に残していけるのかどうかが今の私たちの課題です。